10月1日、千葉地方裁判所で、上名刺の人物、押切裕雄被告に懲役2年、執行猶予4年の有罪判決が下された。
罪状は電磁的公正証書不実記載。2019年3月に東京都港区の法務局へ、2021年2月に千葉市中央の法務局へ、それぞれ資本金の入金がないにもかかわらず、あったことを装う虚偽の証明書を提出し、2つの会社を登記させたという。
ひとつは株式会社電通の社員で、村越祐民事務所の「会計問い合わせ先担当者」でもあったH氏が代表となっていた(本誌夏号で既報)J社(東京都港区)。H氏は、村越祐民氏が当選した2017年11月と2018年3月の市川市長選挙で村越陣営のスタッフだったが、村越氏の当選、市長就任とほぼ同時に電通に入社。2018年8月以降、「丸投げありき」と言われる電通と市川市の会議に毎回出席していた。押切氏は、このH氏が、ゆうちょ銀行に開設した口座通帳の表紙の写しと、押切氏が開設した口座に500万円が入金された記録を合わせて法務局に提出し、H氏の口座に500万円が入金されたことを装った。
そしてもう一つ、罪状に出てきたのがI社(千葉市中央区)。これも同じく、設立登記の申請で資本金800万円が別の人物の口座に入金されていたのに、I社の代表となったE氏の口座を装ったというものだが、注目なのは、なんと、このE氏は市川市役所新庁舎の什器8億円を一括受注した成田市の家具内装工事業者、株式会社イワダテの市川支店長E氏、その人なのである。
このイワダテの極めて不自然な受注についても本誌夏号で報じた通りだが、念のため概要をおさらいしておこう。
季刊 市川モンダイ
押切被告有罪判決で見えてきた市川市政との“点と線”
左)法廷でなぜか堂々としていた押切氏
右)押切氏が市川市役所で配った名刺。「私設秘書ではない」と言っているそうだが、確かにそうは書いていない
右)押切氏が市川市役所で配った名刺。「私設秘書ではない」と言っているそうだが、確かにそうは書いていない
虚偽の資本金で設立された2つ目の会社の代表は
かつて佐倉市贈収賄事件の中心人物で、
8億円一括受注のイワダテ市川支店長だった!!
昨年8月と今年1月の2段階開庁となった市川市役所の新庁舎だが、最後の仕上げとも言える家具一式の購入について、昨年5月1日、成田市に本社を置く株式会社イワダテと契約した。発注額は予算額の99%に当たる7億9200万円(税込)。それまでの市川市の発注は、受注業者が偏らないよう、また中間マージンを節約しよう、と大抵は多くて1億円程度までの小口発注が通例だった。ところが、この発注の入札に突然、「1億5000万円以上の公共団体への納入実績」という条件が付けられた。そのため、それまで市川市へ納入していた業者は、前述の通り、1億円を超える受注などなかったため札を入れることさえできなかったのだ。
一方、イワダテは2014年に千葉県八千代市の中央図書館に書架や特注家具一式を約1億6000万円で納入していた。
市川市の職員によると、「1億5000万円以上、という条件はまさに藪から棒に上から降ってきました。入札の条件などを決める入札資格審査会では“1億円”だったはずなのに、議事録作成の過程で急遽、引き上げられた」という。
焦点は、この入札条件の引き上げは誰の指示だったのか、ということだった。
押切氏と八千代市の関係は長い。
旧民主党関係者によると、押切氏の実家は東京だが、2003年ごろ当時、千葉2区で民主党の落下傘候補だった永田寿康衆議院議員=2006年に堀江偽メール問題で失脚、2009年に自殺=の秘書になり八千代市に移り住んだ。その後、八千代市で、母校である慶應義塾大学の同窓会「八千代三田会」の会報担当、八千代青年会議所特別会員となるなどして八千代市市内の人脈を広げていったという。「永田氏が失脚したあとは平野博文官房長官の公設秘書も務めていたほどの人物ですが、民主党政権崩壊後、本人いわく『ヤサグレていた』そうですが、村越さんの市長選を仕切っていました」(旧民主党関係者)。
もっともその後も押切氏の八千代市での“存在”は、市川市内でもよく知られていたという。
「村越市長が就任した直後に、どうやら押切氏に近いと言われていたイワダテの市川支店が開設されたのをみて、同業者の間では『ああ、やっぱり来たか!』と言い合っていたそうです」(前出の市川市職員)
それが今回の公判で、押切氏とイワダテ市川支店長E氏との距離が非常に近かったことが改めて浮き彫りになった。
公判での検察官の陳述などによると罪状の詳細は次のようなことだ。
一方、イワダテは2014年に千葉県八千代市の中央図書館に書架や特注家具一式を約1億6000万円で納入していた。
市川市の職員によると、「1億5000万円以上、という条件はまさに藪から棒に上から降ってきました。入札の条件などを決める入札資格審査会では“1億円”だったはずなのに、議事録作成の過程で急遽、引き上げられた」という。
焦点は、この入札条件の引き上げは誰の指示だったのか、ということだった。
押切氏と八千代市の関係は長い。
旧民主党関係者によると、押切氏の実家は東京だが、2003年ごろ当時、千葉2区で民主党の落下傘候補だった永田寿康衆議院議員=2006年に堀江偽メール問題で失脚、2009年に自殺=の秘書になり八千代市に移り住んだ。その後、八千代市で、母校である慶應義塾大学の同窓会「八千代三田会」の会報担当、八千代青年会議所特別会員となるなどして八千代市市内の人脈を広げていったという。「永田氏が失脚したあとは平野博文官房長官の公設秘書も務めていたほどの人物ですが、民主党政権崩壊後、本人いわく『ヤサグレていた』そうですが、村越さんの市長選を仕切っていました」(旧民主党関係者)。
もっともその後も押切氏の八千代市での“存在”は、市川市内でもよく知られていたという。
「村越市長が就任した直後に、どうやら押切氏に近いと言われていたイワダテの市川支店が開設されたのをみて、同業者の間では『ああ、やっぱり来たか!』と言い合っていたそうです」(前出の市川市職員)
それが今回の公判で、押切氏とイワダテ市川支店長E氏との距離が非常に近かったことが改めて浮き彫りになった。
公判での検察官の陳述などによると罪状の詳細は次のようなことだ。
これは深淵の入り口か!?
22年前、新聞各紙が大々的に報じた佐倉市の贈収賄事件
元佐倉市議が言う。「ちょうど中央省庁でも接待が問題になった頃。佐倉市でも、ちょっとした疑獄事件になり、市役所でも対策委員会を作ったほどです。この時、関連してある成田市議も逮捕されたましたが、この成田市議とEさんを繋いだのが、成田市内の家具製造業者だったと記憶しています。結局、今も同じような人脈で同じようなことをしてたのでは?」
今年5月、押切氏が逮捕された時には「微罪による別件逮捕」と囁かれた。だが詳細を整理してみると村越市川市政の暗部につながる深淵の入り口のようにも見える。
22年前、新聞各紙が大々的に報じた佐倉市の贈収賄事件
それでも村越市長は 「市政に関係ない!」
これでも関係ない?(本人のツイッターより)
また、押切氏の事件を報じるにあたり、押切氏を村越市長の「私設秘書」と記述したマスコミに対しては、「押切氏は、村越市長の私設秘書でもなければ、市川市政とはなんら関係ない」と弁護士から抗議が来るという。
だが冒頭の名刺は、市川市役所の企画部、財政部、街づくり部、保健部など中枢部署の幹部らと話をするたびに、まるで印籠をかざすかのように、もったいをつけて渡していたという。
最近まで市川市役所の中枢にいた、ある元職員が嘆息する。
「あの名刺を持っている市川市の職員は、まあ、少なくても30人はいるでしょう。押切さんは、人事にも“意見”していたし、折り合えない幹部職員は複数名、実質的にクビにされました。
こうしたことを目の当たりにしている市川市職員の横で、『関係ない』とはよくも言えますよね」
これでも関係ない?(本人のツイッターより)
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